私は世の終わりまで

この濁りと純が混じった世界で純を味わう為に

成長と読書 

成長には

オーガニックグロース

https://en.wikipedia.org/wiki/Organic_growth

インオーガニックグロスM&Aグロース)

Inorganic growth - Wikipedia

エクスポネンシャルグロース

指数関数的成長 - Wikipedia


ja.wikipedia.org

という概念があります。これらの成長とは要は簡単で

成長を計画してマシーンや専門家のサービスを買うのか?

コツコツ努力をして独学で実力をつけていくのか?

知識や教養を沢山身に着けて、実践することでついた知識教養が実力になっているか?

というものであります。

私たちにはウィキィペディアやグーグル、bing おまけにYou tube やアマゾンまで

ネットで知識教養をつける環境は十二分にそろっていると考えます

これらは普段から知識や教養を身に着けることが出来る環境がすでに日本では完成しているといえます。

 

このブログなど、どうせ見ていないだろうから個人名を出して言いますが

澤上篤人さんを結構尊敬しています。

彼は相場を打つファンドマネージャーというよりも戦略を立てるのが上手な人なんです

例えば澤上投信を世に出すときも宣伝を行わずに澤上さんが嫌いなマスコミを

使って有名になったり、再現性という言葉を職場精神に取り入れ仕事や運用を

科学するという姿勢を社員やお客様にオープンにしていることで

キャリアや訪問客がより感性を磨ける姿勢には、人を許す姿勢が見え

(退職した人間の復職を許している)

この中で人間の才能が育まれていくことは容易に想像できます

私も再現性と複利という考え方をバリュー投資を通じて覚醒した者として

才能と知識教養がペアでありかつ、それがオープンなモノならば

誰しもが才能を育む可能性のポイントがそこにあるといえると考えています

 

この再現性と複利という考えを軸にすると長期投資という考えになぜ

澤上会長が至ったのかもよくわかりますし

 

あとは

澤上会長の信念が

私の考えと違うところが

考える時に

私と会長とでは

長期投資に対して建てる数式や関数が変わってしまうのだと思います。

 

この長期投資は再現性を何度も誘発し始まりとプラスのリターンが長期的に繰り返し何度も買いと売りと利益が乗数的に出ることを澤上会長は説き

伝えている1点の才能なのです

 

これを基礎に

youtu.be

 

この上記の動画の話と重ねると、様々な迷いが理解が進む毎に無くなり

洗練した新しいロジックが出来上がるのではないでしょうか?

 

知識、教養は才能を理解するために必要なモノ

才能はリターンを出すロジックを作り上げるために必要なことである以上

、正しい才能の理解は洗練された良手を連続させ、良手は1回1回を成功に導き

それが連続することは、大きな結果を導くように才能が組み合わさることで

選択肢が広がることにつながっていくのです。

 

 

ノミの天井

人間は教育によって本能的な能力が封印されている場合が多い。本来ある才能も教育によって

同じ様な人間にされてしまいチカラを失っている事が多い。

良く考えたら分かる様な簡単な事も出来なくなっている。

私は聖書による教育でチカラを取り戻した。

封印されている者たちよ

聖書により本当の自分を取り戻してみないか?

とアプローチしよう

 

人間関係の作り方

人間関係を構築するやり方は

①対象を信頼するのではなく理解しようとする事
②どう付き合うか?決める
③対象がもつ性格から何が欠けており、何が長所か?明確にする
④短所から考えられるミスや苦手をフォローし
長所から考えられる特技を活かしたマネジメントを行う
⑤対象を大切な存在であることを言葉で伝える
⑥対象が他人の悪口や愚痴を言って来たら必ず傾聴する。決して悪口や愚痴を「言わない方がいい」とは言ってはならない
⑦人間は悪である事を忘れてはならない
⑧プライドが高い人とは人間関係を持たない。距離を取る。プライドが高い人は破滅する為、共に居ると共に破滅する

 

⑨他人と過去は変えられないから他人を変えようとしない。アウトプットを良く見て人を記号化して理解する

 

 

人間は正直さによって評価する

私がよく引用する

「食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましい」と言う人間の判断がある

 

しかしながらコレは真理を持たないエヴァ

判断した指標でコレで人間を評価してはならない

 

この指標で人は評価するから私達が人に評価されるときはこの形にしようと思うだけである

 

私はこれから全ての人間が真理が無い者としてしか接しない。

人が真理に近い、真理を共有できると思って接したら、それは先ずあり得ない、また「お前の真理や神が正しいのか?」と言う始末だ。

 

真理や神が人間に判断出来る訳が無いのだし

真理や神があちらからやって来るのだから

誰でも使えるソフトウェアが真理や神ではない

神や真理が使える者を選ぶのだ

また真理を持つならば

言葉に力があり自由がある訳だから

陰鬱になる理由があるのなら

それが必要である

 

また先週末12月2日にTwitterで話したバベルの塔の町に住む者の罪に対する罰

①言語が破壊され何かしらの理由で使えなくなる、または使えても意味が無くなる

②町の人が散らされてそこに居られなくなる

本当にその通りの罰を

とある者が受けていた事に驚いた

自分で話していてビックリしたが

その者は

バベルの塔と同じ事をしており

バベルの町の人と同じ様になっている

しかし当の本人は気がついていない

それは旧約聖書を素直に真っ直ぐ見る事が出来なくなっているからだと感じた

 

 

 

さて人間を評価する指標は悩んだが

 

正直さが伝わる事である

 

高い能力も多くの教養もあれば越した事は無いが、この冬に嫌な感じが伝わった人間の共通点は正直さが伝わらない事と正直な人間性が無い為に能力が伸び悩む事である。

 

また罪が無い人間も選ぶに相応しい人間である

 

私が相手を理解したいと思っている

しかし相手がそう思っていない場合、

そんな奴とは関わらない方が良い

 

私は私が如何に稼ぐか?を考えるのだが

不思議な現象だが如何に稼ぐか?を考えない人間が存在する。そんな人間とも関わらない方が良い

 

正直である、とは自分が正直でないところは

誤解される可能性があるので

これからは自分も正直でいよう、と思う